もし黒井城の敗戦で光秀が丹波攻略から外されていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
明智光秀は、織田信長の命を受けて丹波攻略を進めた武将です。黒井城攻めでは一度大敗しますが、その後も丹波で戦い続け、のちにこの地域を平定しました。
この場面で何が起きていた?
光秀は黒井城を包囲し、丹波の国衆の多くも味方につけていました。ところが、八上城主・波多野秀治が離反。ほかの国衆も黒井城方へ転じ、明智勢は丹波から退くことになります。
史実ではこうだった
もしここが変わったら?
もし信長が黒井城での敗戦を重く見て、以後の丹波攻略を細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)に任せていたらどうなるでしょうか。亀山に集まる丹波の兵を藤孝が握ったとき、数年後、その軍を率いて西へ出るのは誰になるのでしょうか。
丹波を失う――光秀、亀山への道を断たれる
天正四年、黒井城から退いた光秀は、信長のもとへ敗戦の報告に入った。
「波多野秀治が背きました。八上から兵を出され、黒井を囲む陣を保てませなんだ」
信長は光秀を見た。
「波多野が背くことも読めず、丹波へ入ったのか」
「申し開きはいたしませぬ。もう一度、兵をお与えください」
「いらぬ」
光秀が顔を上げた。
「丹波から手を引け」
「上様」
「藤孝を入れる。お前は坂本へ戻れ」
光秀は膝の上で手を握った。
「波多野を討つ機をお与えください」
「お前に与えた機は終わった」
ほどなく細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)が呼ばれた。
「丹波を任せる」
藤孝は光秀へ目を向けた。
「明智殿は」
「坂本へ戻す。お前は丹波を取れ」
藤孝はしばらく頭を上げなかった。
「承知いたしました」
坂本へ戻った光秀のもとにも、丹波の戦況は伝わってきた。
藤孝は織田方につく国人を増やしながら道を押さえ、攻略の足場を亀山に定めた。
やがて信長から光秀にも命が下った。
「藤孝の丹波攻めを助けよ。差図は藤孝から受けろ」
光秀は兵を率いて丹波へ入り、藤孝から命じられた持ち場を守った。
織田方は八上へ兵を寄せ、城へ通じる道を押さえていき、やがて八上城が落ちた。
それを見て、波多野方についていた国人からも亀山へ使者が来るようになった。
ある日、一人の使者が藤孝の前へ通された。
「我らも織田方に従いたく存じます」
「兵は出せるか」
「お命じとあらば」
「ならば出せ。黒井へ向かう兵に加われ」
「所領のことは」
「働きを見たうえで、信長公へ取り次ぐ」
使者は深く頭を下げた。
その数日後にも、別の国人が亀山へ兵を連れてきた。
「百余りにございます」
藤孝は男を見た。
「明朝、黒井へ出る。そなたも加われ」
「はっ」
黒井を攻める兵は亀山から送り出され、ほどなく黒井城も織田方に下った。
丹波の戦が終わるころ、亀山には国衆の使者が絶えず出入りし、藤孝の命を受けてそれぞれの地へ戻っていった。
それから年月が過ぎ、中国筋の戦が深まったころ、光秀と藤孝はそろって信長の前へ呼ばれた。
信長は藤孝へ顔を向けた。
「亀山へ入れ。丹波の兵を集め、秀吉の加勢に中国へ向かえ」
「はっ」
藤孝が頭を下げた。
「光秀」
光秀は顔を上げた。
「お前は坂本を守れ。近江口を固めよ」
光秀は一度、藤孝へ目を向けた。
「承知いたしました」
信長は続けた。
「わしは京へ入る」
二人は頭を下げ、退出した。
光秀が坂本へ戻ると、家臣たちは具足を広げ、馬の支度を始めていた。
広間へ入ると、一人が立ち上がった。
「中国へ参りまするか」
「いや」
家臣たちの手が止まった。
「近江口を守れとの御下知だ。物見を京へ出せ。街道の備えを改める」
「はっ」
馬の支度が解かれ、兵たちは城門や街道の持ち場へ散っていく。
そのころ藤孝のもとには、丹波中の兵が集まり始めていた。
史実との差分
史実では、黒井城攻めの敗戦後も明智光秀は丹波攻略を任され、天正7年(1579年)に丹波を平定した。本作では敗戦を機に光秀が丹波攻略の総指揮から外され、細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)が後任となる。藤孝は亀山を攻略拠点とし、丹波の国衆と兵を指揮下に置き、のちに羽柴秀吉への援軍として中国へ向かう役目も担う。
読者ノート
丹波攻略から外されたことで、光秀が失ったのは一つの戦の指揮だけではありません。亀山と丹波勢を誰が握るのかが変わり、後年、信長から与えられる役目と光秀自身の配置まで変わっていきます。