もし斎藤龍興が乗っ取りに懲りて改心し、半兵衛が斎藤家を支え続けたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
竹中半兵衛は、主君を諫めるためだけに居城を奪い、目的を果たすと潔く返すという、無欲で筋を通す知将でした。その軍略の冴えは、後に羽柴秀吉が軍師として欲しがるほどでした。
この場面で何が起きていた?
半兵衛は稲葉山(いなばやま)城を奪い、半年ほどで主君・斎藤龍興(さいとう・たつおき)へ返しました。これ以上ない痛烈な諫めでしたが、史実の龍興は懲りずに酒色を改めず、失望した半兵衛は斎藤家を去ります。美濃はやがて信長に呑み込まれました。
史実ではこうだった
永禄七年、稲葉山(いなばやま)。
竹中半兵衛は、奪った城を主君・斎藤龍興(さいとう・たつおき)へ返した。城を取るは諫めのため、返すは忠義のため。半兵衛の筋は、初めから一本通っていた。
問題は、城を返されたあとの龍興であった。史実の龍興は、この痛烈な諫めにも目を覚まさず、再び酒色と佞臣に溺れた。半兵衛は深く失望し、やがて斎藤家を去る。柱を失った美濃は、東から迫る信長の前に脆くも崩れていった。
だが、もし龍興が違ったなら――。一度はわが手から城を失った屈辱を、若き当主が骨身に刻み、佞臣を遠ざけ、半兵衛に深く頭を垂れて『国を頼む』と言っていたら。
その時、半兵衛の知略は斎藤家のために尽くされる。半兵衛は美濃の城々の守りを固め、国衆の心を繋ぎとめ、信長の調略の手を一つひとつ封じていく。稲葉山は再び難攻不落の名にふさわしい構えを取り戻し、長良川の流れは織田の進軍を阻む堀となる。
諫めの一夜が、主君を変える一夜になっていたら。半兵衛は秀吉のもとへ行くことなく、美濃斎藤家の柱として、信長の天下布武に立ちはだかる最大の難所を築いていたであろう。
もしここが変わったら?
もし斎藤龍興(さいとう・たつおき)が城を奪われた屈辱に懲りて改心し、半兵衛を重く用いていたら、斎藤家は名軍師を柱として立て直され、信長の美濃平定はずっと先まで阻まれていたかもしれません。
もし龍興が稲葉山(いなばやま)の屈辱に懲りて半兵衛に頭を垂れたなら
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永禄七年の冬、稲葉山(いなばやま)城は静まり返っていた。わずか十数名で天守を奪われた斎藤龍興(さいとう・たつおき)は、半年の後に城を返されてなお、その夜の冷たさを忘れられずにいた。竹中半兵衛重治は、城を返すにあたって一言も恩を言わなかった。ただ「政道が乱れれば、城など十数名の手で落ちまする」とだけ告げて去ろうとしたのである。
龍興は、その背を呼び止めた。これまで身辺を固めていた佞臣たちを城から遠ざけ、夜ごとの酒色の宴を畳ませ、家臣の見ている前で半兵衛に膝を折った。「美濃を、そなたに預ける」。震えを抑えたその一言が、諫めの一夜を、主君が生まれ変わる一夜に変えた。並み居る重臣たちは息を呑んで、若い主の変わりようを見守るほかなかった。
半兵衛は斎藤家の柱石として国政を委ねられた。彼はまず西美濃の押さえである曽根城の堀を深くし、土塁を厚くして守りを固めた。そして安藤守就(あんどう・もりなり)・氏家卜全・稲葉一鉄のいわゆる西美濃三人衆を、起請文の文言ではなく、実利と道理によって斎藤家に繋ぎとめた。織田信長の調略の使者が国境を越えるたび、半兵衛は先回りして国衆の不満の芽を一つひとつ摘んでいった。年貢の取り立てを改め、訴えを公平に裁いたことが、何よりの楔となった。
墨俣の対岸に砦を築こうとする織田方の動きには、長良川と木曽川の渡しを押さえて応じた。船を集め、瀬の浅い場所を兵で固め、夜陰に乗じた渡河を許さなかった。信長は焦った。美濃を内側から切り崩す要であった内応の糸が、ことごとく断たれていたからである。
永禄十年の春、ついに織田勢が木曽川を越えて押し寄せた。だが稲葉山の麓には、すでに半兵衛の配した伏勢が待ち構えていた。足軽たちは川霧の中で旗を伏せ、合図の法螺が鳴るまで身じろぎもせず草に伏した。誰が敵の大将かは知らされぬまま、ただ前方の槍衾(やりぶすま)を崩すことだけを命じられていた。
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戦は一日では決しなかった。織田勢は増水した長良川の流れに阻まれ、稲葉山の険しい斜面に兵を損じて、いったん兵を退いた。半兵衛は深追いをかたく禁じ、城々の守りを一歩も崩さなかった。勝ちを誇るより、負けぬことを選んだのである。
龍興は変わった。半兵衛の諫言を退けることはもはやなく、国の蔵を検め、田畑を検め直し、寺社との古い争いを自ら裁いた。かつて佞臣に囲まれて遊興に明け暮れた若い主君の面影は薄れ、家臣たちは久しく見なかった引き締まった政の気配を、城下にも感じ取り始めていた。
確かに変わったことがある。美濃は、いまだ斎藤の手にあった。西美濃三人衆は織田に転ばず、曽根と墨俣の守りは固く、長良川は依然として国境を守る盾であり続けた。半兵衛が筋を通して仕える限り、この国はたやすくは崩れない。
だが信長が美濃を諦めたわけではなかった。木曽川の向こうでは、織田の旗が再び数を増しつつある。次に川を越えてくるとき、それは調略ではなく、総力を挙げた攻めとなるだろう。半兵衛は稲葉山の物見に立ち、対岸の野に立ち上る炊煙の数を、静かに数えていた。
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史実との差分
史実では斎藤龍興(さいとう・たつおき)は半兵衛の諫めにも改心せず酒色を改めなかったため、半兵衛は失望して斎藤家を去り、美濃は永禄十年に織田信長に平定される。半兵衛は後に羽柴秀吉の軍師となった。この物語では龍興が改心して半兵衛に国政を委ね、西美濃三人衆が斎藤家に繋ぎとめられ、信長の美濃侵攻が長く食い止められている点が史実と異なる。
読者ノート
諫めの一夜が主君を変える一夜になる、という核を三人称で淡々と描きました。半兵衛の無欲と筋の通し方、改心した龍興との関係、そして信長の調略を封じる地味な守りの戦が見どころです。決着をつけず、次の織田との総力戦を予感させて結びました。