もし半兵衛が稲葉山城を返さず、自ら美濃に拠っていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
竹中半兵衛は、わずか十数名で主君の居城・稲葉山(いなばやま)城を奪うという奇略を演じた知将です。ただし、その狙いは領地ではなく、暗愚な主君を諫めることにありました。
この場面で何が起きていた?
永禄7年、半兵衛は弟の見舞いを口実に武具を運び込み、稲葉山(いなばやま)城を急襲して占拠しました。当主・斎藤龍興(さいとう・たつおき)は城を追われましたが、半兵衛は半年ほどで城を返し、自らは表舞台を退いてしまいます。
史実ではこうだった
もしここが変わったら?
もし半兵衛が稲葉山(いなばやま)城を龍興に返さず、西美濃の勢力をまとめて自ら美濃に拠り続けていたら、斎藤家に代わる新たな勢力として、信長の美濃攻略に正面から立ちはだかっていたかもしれません。
もし竹中半兵衛が稲葉山(いなばやま)城を返さず、自ら美濃に拠ったなら
史実との差分
史実では、竹中半兵衛重治は永禄七年(1564年)に十数名で稲葉山(いなばやま)城を奇襲で奪ったのち、領地や謀反を目的とせず、暗愚な主君斎藤龍興(さいとう・たつおき)を諫めるための行いであったため、半年ほどで城を龍興へ返還し、自身は隠棲した。3年後の永禄十年(1567年)に織田信長が稲葉山城を落として美濃を平定し、半兵衛はのちに羽柴秀吉に仕える。本作では、半兵衛が城を返還せず、義父安藤守就(あんどう・もりなり)ら西美濃の国衆とともに斎藤でも織田でもない第三勢力として美濃に拠り続ける点が史実と分岐する。龍興が長島方面へ早期に逃れた点、半兵衛が信長と直接対峙する展開も史実には存在しない。
読者ノート
稲葉山(いなばやま)城の乗っ取りは、史実では『諫めの奇略』として知られ、半兵衛の無欲さを象徴する逸話です。本作はその一点、『城を返すか、腰を据えるか』の選択が反転した世界を描きました。1564年時点では、まだ信長の美濃平定も秀吉への仕官も起きていないことに留意してお読みください。半兵衛が筋を通すために、あえて筋を曲げて城を握る——その葛藤を入口として、続く各編で側近・対立者・市井の視点から美濃の行方を追います。