もし尼子再興軍が上月城を放棄し、秀吉の退却指令に応じて共に播磨から後退し再起を図っていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
山中鹿之助ら尼子再興軍は、毛利の大軍に包囲された上月城(こうづきじょう)を死守し、尼子家復活の象徴としようとしていました。
この場面で何が起きていた?
1578年、織田信長からの指示を受けた羽柴秀吉は、尼子勝久(あまこ・かつひさ)や山中鹿之助に対し、城を捨てて撤退し、自らの軍に合流して再起を図るよう強く勧めました。
史実ではこうだった
天正六年、播磨・上月城(こうづきじょう)は毛利の大軍三万に包囲されていた。城を守るのは、尼子勝久(あまこ・かつひさ)と山中鹿之助の尼子再興軍である。
織田の中国攻めの最前線に置かれた上月城だったが、播磨で別所長治(べっしょ・ながはる)が三木城に反旗を翻すと、織田信長は戦力の集中を優先した。秀吉に対し、上月を捨てて書写山へ退くよう命じる。
秀吉は苦渋のうちに撤退した。本来であれば城兵もろとも後退し、再起を期す道もあり得た。だが最前線に取り残された尼子軍に、その退路は開かれなかった。
孤立した上月城は、数か月の籠城の末に降伏する。尼子勝久は一族とともに自刃し、鹿之助は護送の途中で謀殺された。流浪のすえの再興運動は、ここに終わりを告げた。
もしここが変わったら?
もし一度後退して実力を養う道を選んでいたら、鹿之助はのちの秀吉の毛利攻めでどんな活躍を見せたでしょうか。
今回の視点俯瞰視点
玉砕を捨て、五百は生き延びた――上月放棄と織田軍への合流
天正六年六月下旬、激しい雨が播磨の上月城(こうづきじょう)を濡らし、城壁を伝って泥水が音もなく流れ落ちていた。城外を包囲する毛利軍の松明が雨の中にぼやけて揺れる中、城内では尼子勝久(あまこ・かつひさ)と山中幸盛ら尼子再興軍の首脳が、羽柴秀吉からの極秘の使者を迎えていた。信長からの撤退厳命を受けた秀吉は、尼子軍に対し、「城を差し違えて死守するのではなく、夜陰に乗じて上月を脱出し、我ら織田の本隊と合流して再起を図られたし」と強く勧告したのである。武士の名誉と義理を重んじる尼子の気風からすれば、この勧めを断って城と運命を共にし、全員が討ち死にする道を選ぶはずであった。しかし、この決断の場面において、勝久と幸盛は「生きて戦力を温存し、機を待つことこそ、尼子再興の最後の道」と、苦渋の決断を下した。
梅雨の豪雨が山林の物音をかき消す深夜、尼子再興軍五百余名は、城の裏手の切り立った崖路から静かに脱出を開始した。雨水で滑る岩肌を慎重に下り、足軽たちは馬の口を縛り、甲冑が擦れ合う音を防ぐために布を巻き、一列になって暗闇の泥道を下っていった。城内には僅かな守備兵の身代わりとして木偶人形と松明を残し、毛利軍に脱出を気づかれぬよう細心の注意が払われた。秀吉が手配した先導部隊の案内により、尼子軍は毛利の包囲網の隙間をすり抜け、播磨東部へと無事に後退した。翌朝、毛利軍がもぬけの殻となった上月城に突入した時には、すでに尼子軍の主力は遥か彼方の姫路近郊へと達していたのである。彼らは、無駄な玉砕という破滅を完全に回避し、再起の火種を守り抜いたのである。
上月城は毛利の手に落ちたが、尼子の精鋭五百は誰一人欠けることなく生存し、羽柴秀吉の与力部隊として姫路城下に収容された。秀吉は彼らに食糧と新たな具足を支給し、織田の直轄軍として但馬・因幡方面の山陰攻略の先鋒に据えた。これにより、無駄な玉砕を避けた尼子の将兵は、織田という巨大な国家の軍事組織の一部として、実質的な戦闘力を維持し続けることとなったのである。彼らはかつてのような孤立無援の浪人集団ではなく、天下統一を目指す織田信長の強力な軍事組織の翼賛部隊としての実質的な力を手に入れた。
この戦略的撤退により、山中幸盛の尼子再興運動は、「局地的な籠城戦での消滅」から「織田の中国攻略と完全に一体化した持続的な進軍」へと変化した。勝久は姫路で平穏に暮らしながら、播磨の国衆たちとの交渉役に立ち、幸盛は再び十文字槍を担いで、但馬の竹田城や鳥取城をめぐる新たな攻略作戦の指揮を秀吉から委ねられた。上月城の木戸が毛利によって閉ざされた瞬間、一つの局地戦は終わったが、生き延びた出雲の麒麟の眼光には、より強固な織田の支援を背に、再び山陰の地へ攻め入るための冷徹な計算が静かに浮かんでいた。戦いの舞台は播磨から、彼らの故郷である山陰へと、静かに移り変わろうとしており、幸盛の飽くなき執念は再び動き出した。その動きは、毛利の山陰防衛線を大きく揺るがす決定的な要因となるはずであった。
史実との差分
史実では尼子軍は秀吉の撤退勧告を拒否して上月城(こうづきじょう)で全滅したが、この分岐では撤退に合意して秀吉軍と共に播磨から後退した。勝久と鹿之助は生存し、織田軍の山陰攻略部隊の先鋒として生き残り、毛利との戦いを継続する道を得た。
読者ノート
この物語は『尼子軍が名誉よりも実利を選び、戦術的な撤退を行っていたら』という仮定に基づく創作です。深夜の脱出劇や姫路での再配置はフィクションです。