もし上月城包囲戦中に、毛利軍の背後で宇喜多直家が寝返るなどして毛利軍が包囲を解いて撤退していたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
山中鹿之助ら尼子再興軍は上月城(こうづきじょう)で毛利軍3万に包囲され、飢えと物資不足に苦しみながら過酷な籠城を続けていました。
この場面で何が起きていた?
1578年当時、美作や備前を領する宇喜多直家は毛利陣営に属しており、織田の中国方面軍と対峙する毛利軍の背後を守る役割を担っていました。
史実ではこうだった
天正六年、播磨・上月城(こうづきじょう)を、吉川元春(きっかわ・もとはる)・小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)率いる毛利軍三万が包囲していた。城には尼子勝久(あまこ・かつひさ)と山中鹿之助の再興軍が籠もる。
この戦いは、織田と毛利が中国地方の覇権を争う最前線であった。毛利方には備前の宇喜多直家も従っていたが、直家はやがて織田方へ寝返る、油断ならぬ謀将である。
しかし上月城をめぐる攻防で、毛利は包囲を緩めなかった。折しも播磨で別所長治(べっしょ・ながはる)が反旗を翻したため、織田信長は秀吉に上月の放棄を命じ、援軍の望みは断たれる。
孤立した上月城は降伏し、尼子勝久は自刃、鹿之助は護送途上で謀殺された。毛利は上月を奪い返し、尼子再興軍は完全に滅び去った。
もしここが変わったら?
もし宇喜多の裏切りが早く、毛利軍が上月城(こうづきじょう)から撤退していたら、播磨最前線はどう動いていたでしょうか。
今回の視点俯瞰視点
断たれた補給路、解けた上月の囲み――宇喜多直家、毛利に背く
天正六年六月、播磨の上月城(こうづきじょう)は、毛利の吉川元春(きっかわ・もとはる)・小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)率いる三万の大軍によって完全に包囲され、落城は時間の問題とされていた。城内の尼子再興軍は極限の飢餓に耐え忍んでいた。しかし、この包囲戦の最中、毛利軍の背後を守る備前の大名・宇喜多直家が、突如として毛利陣営を離脱し、織田信長へ寝返るという大事件が発生した。備前の宇喜多直家といえば、好機を慎重に見極めてから動く梟雄として知られ、毛利もまさかこの包囲の最中に背かれるとは思っていなかった。だが、羽柴秀吉と黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)による水面下の執拗な調略が実を結び、直家は「毛利の敗勢は近く、今こそ寝返る好機」と判断。誰もが予期せぬこの時機に、織田への帰順を宣言したのである。この突然の裏切りが、戦況を根底から揺るがすこととなった。
宇喜多直家の叛意は、即座に毛利軍の背後を直撃した。直家の領地である備前・美作は、毛利包囲軍が山陰・山陽の本領から播磨へと物資や兵を運ぶための、唯一の補給路にして退路であった。その通路が封鎖されたことは、毛利軍の生命線が絶たれたことを意味していた。直家が毛利側の番所を襲撃し、兵糧の供給を遮断したとの報が上月の毛利本陣に届くと、吉川元春と小早川隆景は愕然とした。背後と補給線を絶たれた毛利軍は、上月城の包囲を維持し続ければ、秀吉軍と宇喜多軍に挟撃され、播磨の地で全滅する恐れがあった。小早川隆景は即座に「全軍、備前へと回軍し、宇喜多の反乱を鎮圧すべし」と断を下し、毛利軍は夜を徹して上月城の包囲を解き、西へと撤退していった。城塞を囲んでいた何重もの柵や逆茂木は、一夜にして放棄され、毛利の軍勢は風のように去った。
翌朝、上月城壁の尼子勝久(あまこ・かつひさ)・山中幸盛らは、毛利の陣営がもぬけの殻となっているのを目撃した。奇跡的な包囲の霧散に、城内には大きな勝鬨が響き渡った。尼子再興軍は誰一人欠けることなく上月城を守り抜き、播磨西部における強固な反毛利の拠点として生存することとなったのである。彼らの執念が実を結んだ瞬間であった。この劇的な生還は、尼子家臣団の士気を極限まで高めた。
この宇喜多直家の早期寝返りにより、織田の中国攻略の形勢は一気に傾いた。毛利軍は宇喜多を叩くため備前へと主力を戻さざるを得ず、播磨東部の三木城の別所長治(べっしょ・ながはる)は、毛利からの支援路を完全に絶たれて孤立した。上月城を死守した尼子軍は、秀吉軍の先鋒として播磨・美作の国境の守備を固め、毛利が再び播磨へ侵入する道を完全に塞いだ。播磨西部での勢力を維持したまま、幸盛は宇喜多直家と連携し、美作方面から出雲へと攻め入るための次なる戦略的布石を打ち始めた。毛利の防衛線は大きく後退し、山陰の覇権をめぐる戦いは、新たな局面へと移り変わりつつあり、幸盛は再び槍を執って立ち上がった。織田軍の強大な物資支援を背に、幸盛の眼光はすでに故郷の月山富田城(がっさんとだじょう)を捉えていた。上月城の天守には、再び尼子の四つ目結の旗が風を受けて堂々とはためき、播磨の山々に新たな歴史の始まりを告げていた。それは再興軍の新たな旅立ちであった。
史実との差分
史実では宇喜多直家は天正7年秋に寝返ったため上月城(こうづきじょう)の尼子軍救出には間に合わなかったが、この分岐では直家の寝返りが史実より早まったため、補給路を断たれた毛利軍は撤退せざるを得なくなった。これにより尼子軍は生存し、上月城は織田の前線拠点として守り抜かれた。
読者ノート
この物語は『もし宇喜多直家の調略が早期に成立し、上月城(こうづきじょう)包囲戦の最中に裏切りが発生していたら』という仮定に基づく創作です。直家の寝返り時期の変更や、それによる毛利軍の回軍プロセスはフィクションです。