もし元親が屈せず、毛利と結んで信長に抗っていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
明智光秀は織田信長の重臣で、家老の斎藤利三(さいとう・としみつ)を通じて長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)との外交(取次)を担っていました。利三は元親と縁戚にあたり、明智家は四国の長宗我部と深いつながりを持っていたのです。
この場面で何が起きていた?
長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)は土佐から四国へ勢力を広げ、信長も初めはその『切り取り』を認めていました。しかし信長は次第に方針を変え、阿波の三好氏と結んで元親に領地の割譲を迫り、四国攻めへと傾きます。取次を務めてきた光秀の面目は、丸つぶれになろうとしていました。
史実ではこうだった
天正九年、安土。
長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)は、土佐を統べ、阿波・讃岐へと勢力を広げていた。その四国切り取りを、織田信長も初めは『切り取り次第』と認めている。両家の取次を担ったのが、明智光秀である。光秀の家老・斎藤利三(さいとう・としみつ)は元親と縁戚の間柄にあり、明智家は長宗我部と深く通じていた。
だが、信長の四国への構えは、次第に厳しさを増す。阿波の三好康長と結んだ信長は、元親に阿波・讃岐を手放し、土佐と南阿波の半国に退くよう迫った。かつて交わした約束は、反故にされようとしていた。
取次として元親に信長の意を伝えてきた光秀の面目は、丸つぶれであった。家老の利三は強く反対したが、流れは止まらない。天正十年五月、信長は三男・信孝を総大将とする四国攻めを発し、軍は六月に堺から渡海する手筈となる。光秀の胸には、主君への深い不信が澱んでいった。本能寺の変の動機の一つとして、この四国政策の軋轢を挙げる声は、後の世に絶えない。
もしここが変わったら?
もし元親が降伏を拒み、信長の宿敵・毛利と手を結んでいたら、四国と中国が反信長で連携し、四国攻めは本物の二正面戦争へと膨らんだはずです。取次を務めた光秀は、主君と外交相手のはざまで引き裂かれます。約束の反故が、西国全体を巻き込む大乱の火種になったかもしれません。
今回の視点俯瞰視点
四国と中国、反信長で結ぶ――元親、毛利と組んで信長に抗す
天正九年、土佐。長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)は、信長の約束破りの下知を前に、屈服を即座に退けた。四国は切り取り次第――その言葉を信じて阿波・讃岐を切り取ってきた。それを、力で取り上げるという。ならば、戦うまで。元親は、誇り高い土佐の梟雄であった。
だが、四国一島の勢で織田の全力に抗うのは無謀である。元親が頼ったのは、信長と中国で死闘を続ける毛利であった。敵の敵は味方――信長という共通の大敵を前に、元親は毛利輝元・小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)らと密かに通じ、反信長の盟約を結ぶ。四国と中国が手を結べば、信長は西に二つの大きな戦線を抱えることになる。
元親の密使は、夜陰に紛れて瀬戸内を渡り、安芸の毛利のもとへ走った。毛利もまた、織田の重圧に単独で耐える苦境にあり、四国に新たな味方を得ることは願ってもないことであった。両者の利害は、信長という共通の大敵を前に、たやすく一致する。こうして、瀬戸内を挟んだ反信長の盟約が、密かに結ばれた。
毛利にとって、長宗我部の抗戦は、織田の力を西へ分散させる絶好の楔であった。信長が四国へ大軍を割けば、その分、中国筋の備えは薄くなる。逆に中国を攻めれば、四国の長宗我部が背を脅かす。かつて武田・本願寺・毛利が織田を囲んだあの包囲網が、規模を変えて、西国の海の上に組み直されようとしていた。
天正十年、信長は三男・信孝を総大将とする四国攻めを発した。だが、堺から渡海した織田勢を待っていたのは、毛利と気脈を通じた長宗我部の、一島を挙げての抗戦であった。元親は阿波・讃岐の要害に拠って織田勢を阻み、瀬戸内では毛利の水軍が織田の補給を脅かす。四国攻めは、短期の制圧戦から、泥沼の長期戦へと姿を変えていった。とりわけ、瀬戸内の制海権をめぐる攻防は熾烈であった。毛利の水軍が織田の輸送船を襲うたび、四国へ渡った織田勢は、兵糧と弾薬の欠乏に苦しむ。海を制せぬ限り、四国を力で押さえ込むことはできぬ――その厳しい現実が、織田の将たちの前に重く立ちはだかった。
この二正面の重圧は、中国筋の羽柴秀吉をも苦しめた。毛利は四国との連携で息を吹き返し、備中での対陣はいよいよ膠着する。信長が描いた西国の早期平定は、四国の抵抗と毛利の粘りによって、大きく狂わされた。かつて織田包囲網が信長を追い詰めたように、西から再び、反信長の連環が組み上がりつつあった。
この渦中で、最も苦しい立場に立たされたのが、取次の明智光秀である。かつて己が『切り取り次第』と信長の意を伝え、誼を結んできた元親が、いまや主君の敵として牙を剥いている。光秀は、主君への忠と、外交相手への信義のはざまで、引き裂かれていた。四国攻めの不首尾は、取次たる己の失態として、いつ咎めが降りかかるかも知れぬ。
年が改まっても、四国の主導権は元親の手に残った。阿波・讃岐の要害は落ちず、瀬戸内の海路は毛利の水軍が握る。信孝の軍は淡路に押し戻され、渡海の足場を確保するのがやっとであった。織田は、四国を切り取る戦から、淡路と塩飽(しわく)を挟んだ瀬戸内の海の道を毛利から奪い返す戦へと、鉾先を変えざるを得なくなる。次の争点は、もはや土佐の山野ではなく、備讃の瀬戸をめぐる制海権に移った。備中では羽柴秀吉が毛利と対陣を続け、四国の抗戦に支えられた毛利は一歩も退かぬ。
坂本の城で、光秀は西の海図を前に、元親攻めの手立てを問われるたび、筆が止まった。かつて誼を繋いだ相手の弱みを、いまは主君のために説かねばならぬ。取次として結んだ縁が、そのまま己の首を絞める縄に変わっていく。西国の戦火は、備讃の瀬戸と備中の対陣を二つの火口として、なお長く燃え続けることになった。
史実との差分
史実では信長が四国攻めを発し、本能寺の変で中止された。本作では元親が降伏を拒み、信長の宿敵・毛利と結んで抗戦する。四国と中国が反信長で連携し、四国攻めは二正面の長期戦に発展。取次の光秀は主君と外交相手の板挟みに立たされ、反信長の連環が西国に再燃する様を俯瞰で描く。
読者ノート
元親が屈さず毛利と結んで抗うifを俯瞰で描いています。四国・中国の反信長連携が信長の西国経略を狂わせ、取次・光秀が板挟みに陥る戦略的分岐に焦点を当てています。創作部分を含みます。