もし官兵衛の到着前、井上九郎右衛門らが反撃を見送っていたら?

この話の背景を読む

この武将はどんな人?

黒田官兵衛(如水)は、関ヶ原の戦いが近づくなか、中津(なかつ)で兵を集め、大友義統(おおとも・よしむね)の豊後(ぶんご)入りに対応して出陣しました。木付城(つけじろ)が攻撃されたとの報を受けると、井上九郎右衛門らを救援に向かわせ、自身も豊後へ進みます。石垣原(いしがきばる)では先遣隊が如水(じょすい)の到着より先に大友勢と衝突し、戦況が大きく動きました。

この場面で何が起きていた?

慶長5年9月、旧領回復を目指して豊後(ぶんご)へ戻った大友義統(おおとも・よしむね)の軍勢と、黒田如水(くろだ・じょすい)・細川方の軍勢が石垣原(いしがきばる)で衝突しました。戦いの前半では黒田方の先手が大友勢の反撃を受け、実相寺山の方へ敗走します。後方には、まだ戦場へ入っていない井上九郎右衛門らの二番備がいました。

史実ではこうだった

慶長五年九月、豊後(ぶんご)。 大友義統(おおとも・よしむね)は旧領回復を目指して豊後へ戻り、木付城(つけじろ)へ兵を向けました。木付城には細川忠興(ほそかわ・ただおき)の家臣・松井康之らがおり、黒田如水(くろだ・じょすい)も城の救援に兵を送りました。 九月十三日、木付方面へ向かった黒田方の先遣隊と木付勢は、大友義統が陣を置く立石の近くで大友勢と戦います。黒田方の先手は一度退いた大友勢を追いましたが、立石近くで反撃を受けました。久野次左衛門と曽我部五郎右衛門が討たれ、母里與三兵衛と時枝平太夫も実相寺山を越えて退きます。 そのころ、後方には井上九郎右衛門らの二番備がいました。黒田如水(じょすい)本人はまだ戦場に到着していません。敗走する先手を前に、後続の兵をどう動かすかが戦況を大きく左右する場面を迎えていました。

もしここが変わったら?

もし官兵衛の到着前、井上九郎右衛門らが反撃に入らず、敗走兵を収めて如水(じょすい)を待つ道を選んでいたら、石垣原(いしがきばる)の勝敗と、その後の九州の戦いはどう変わっていたでしょうか。

今回の視点俯瞰視点

石垣原(いしがきばる)に敗れる――如水(じょすい)、大友の復活を許す

慶長五年九月十三日の夕刻、豊後(ぶんご)・石垣原(いしがきばる)から黒田方の兵が実相寺山へ退いてきた。

黒田如水(くろだ・じょすい)が着いたとき、先手は崩れていた。久野次左衛門、曽我部五郎右衛門は討死。母里與三兵衛、時枝平太夫も退いた。井上九郎右衛門ら二番備は前へ出ず、敗走兵を収めて戻っている。

「大友は」

「立石におります。吉弘統幸も健在にございます」

如水(じょすい)は井上を見た。

「二番備は動けるか」

「動けまする」

「ならば今夜は崩すな。戻った者を組へ入れ直せ」

翌朝、物見が駆け込んだ。

「大友勢が動きました」

「こちらへ来るか」

「いえ。木付の方角へ」

木付は石垣原から東、豊後北東部にある城だ。細川方の松井康之らが籠もり、大友義統(おおとも・よしむね)は数日前にも攻めたが落とせず、立石へ退いている。

昼前、木付から使者が来た。

「大友勢が城へ集まっております。救援を」

家臣が如水へ迫った。

「二番備を出せば、まだ戦えます」

「全部は出せぬ。立石にも兵が残っている。背後を空けられぬ」

「では、安岐へ回す兵を」

「安岐は捨てる」

如水は立ち上がった。

「先手から動ける者を集めろ。木付への道を開ける。二番備は残せ」

黒田の一隊が木付へ向かった。

だが、吉弘勢が先に道へ入っていた。黒田勢は二度攻めかけたが、道の狭いところで槍をそろえた吉弘勢を崩せず、日が傾いた。

夕刻、救援隊が戻ってきた。

「抜けませぬ。吉弘勢が道を押さえております」

「もう一度出られるか」

「出るなら、今度は二番備を前へ出すほかありませぬ」

「それを出せば、中津(なかつ)へ戻す兵が減るな」

「はい」

具足を血で濡らした兵が、仲間に肩を貸されて戻ってくる。如水はその列を見た。

「救援は止める」

「木付を見捨てまするか」

「ここで残った兵まで失えば、中津が危うい」

如水は木付から来た使者へ向き直った。

「松井殿へ伝えよ。城兵を生かす道を選ばれよ、と」

数日後、木付から別の使者が来た。

「城方、大友と開城の談判に入りました」

「開城の条件は」

「松井殿以下、城兵を退かせることにございます」

その日の夕刻、さらに報せが届いた。

「木付城(つけじろ)は開きました。松井殿は城兵を連れて退き、大友勢が城へ入っております」

使者は続けた。

「石垣原での勝利を聞いて、かつて大友家に仕えていた者も義統のもとへ集まり始めております」

「どこへ集まっている」

「木付へ。近在にも大友方から使者が出ております」

攻城道具を積んだ荷駄は、すでに中津へ向かっていた。負傷者を乗せた馬も、その後を北へ進んでいる。

「全軍を中津へ下げる」

「大友はどうしまする」

「木付を取られ、旧臣まで義統に従い始めた。今は手を出せぬ」

井上が如水を見た。

「豊後は諦めまするか」

「ああ」

如水は立ち上がった。

「豊後攻めはここまでじゃ。各隊を中津へ下げろ」

「はっ」

陣の各所へ命令が走った。

如水は井上を呼び止めた。

「おぬしは殿を務めよ」

「承知しました」

井上が陣を出ていく。

中津へ向かう隊が順に実相寺山を離れた。

如水も中津へ向かう列に加わった。

その後方では、井上が殿の兵をまとめていた。

史実との差分

史実では、石垣原(いしがきばる)で黒田方の先手が大友勢の反撃を受けて敗走した後、井上九郎右衛門ら二番備が参戦して形勢を逆転し、大友方の吉弘統幸らが討死しました。大友義統(おおとも・よしむね)は9月15日に降伏し、如水(じょすい)はその後、安岐城など九州各地への攻勢を続けています。本作では、井上らが二番備を反撃に投入しなかったため黒田方が敗れ、吉弘統幸が生存。勝利した大友勢が木付城(つけじろ)を再包囲して開城させ、かつて大友家に仕えた者の一部が義統のもとへ戻り始める展開を描いています。木付城への再攻撃と開城交渉、黒田方の救援失敗、如水が豊後(ぶんご)での攻勢を打ち切って中津(なかつ)へ戻る判断はIF上の創作です。

読者ノート

木付は豊後(ぶんご)北東部にあり、大友義統(おおとも・よしむね)が石垣原(いしがきばる)合戦の直前にも攻めていた城です。この版では、石垣原で黒田方を破った大友勢が木付を奪取し、さらに旧臣の一部まで義統のもとへ戻り始めます。石垣原の一勝をきっかけに、大友家が豊後で再び勢力を形成し始め、如水(じょすい)は九州各地への攻勢ではなく中津(なかつ)防衛を優先することになります。

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参考資料

史実と創作の扱いについて →