もし黒田官兵衛が有岡城へ入らなかったら?

この話の背景を読む

この武将はどんな人?

黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は、羽柴秀吉の軍師として中国攻略を支えた知将です。竹中半兵衛とともに『両兵衛』と並び称されました。

この場面で何が起きていた?

天正6年(1578年)、摂津の荒木村重(あらき・むらしげ)が信長に反旗を翻しました。官兵衛は旧知の村重を説得しようと、単身で有岡城(ありおかじょう)へ乗り込みます。

史実ではこうだった

天正六年十月、摂津・有岡城(ありおかじょう)。 織田信長に重用されていた荒木村重(あらき・むらしげ)が反旗を翻した。中国攻略の途上にあった羽柴秀吉にとって、背後に位置する有岡城の離反は放置できない事態だった。 黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は、小寺政職(こでら・まさもと)に織田への臣従を勧め、秀吉との取次を担ってきた。村重とも旧知であった官兵衛には、城へ赴き、翻意を促す役目が託された。 有岡城へ着いた官兵衛の前に門が開く。城外から言葉を届けるか、村重に直接会うため中へ入るか。官兵衛は一人で門をくぐった。

もしここが変わったら?

もし官兵衛が門前で足を止め、城外から村重を説こうとしたら、誰が危険と責任を引き受けることになったでしょうか。

今回の視点俯瞰視点

生きて降った旗――官兵衛、別所勢を連れて有岡へ

黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は、有岡城(ありおかじょう)の門をくぐらなかった。

荒木村重(あらき・むらしげ)へ送った言葉にも返事はなく、官兵衛は播磨へ戻った。

三木城の包囲は続いていた。

別所長治(べっしょ・ながはる)は毛利方との道を捨てず、城外では羽柴勢が兵糧の流れを断とうとしている。

官兵衛は陣へ戻ると、付城(つけじろ)と街道を見て回った。

「このまま囲めば、いつかは落ちます」

秀吉が官兵衛を見た。

「いつじゃ」

「分かりませぬ」

「それでは困る」

官兵衛もうなずいた。

有岡には村重がいる。

三木には長治がいる。

播磨と摂津で二つの城を抱えたままでは、西へ進む兵も割かれ続ける。

官兵衛は長治へ使者を送った。

返事はなかった。

二度目も戻された。

三度目、官兵衛は条件を変えた。

長治と一族の命を取らない。

城兵も助ける。

その代わり三木城を明け、毛利方との往来を断つ。

秀吉は書付を見た。

「わしだけでは決められぬぞ」

「信長様へお伺いください」

数日後、許しが届いた。

使者が持ち帰った書付を、秀吉は最後まで読んだ。

「長治と一族、城兵の命も取らぬ。そういう許しじゃ」

「これで長治が動くか」

「動かします」

秀吉は書付を官兵衛へ渡した。

「ならば行け」

官兵衛はその書付を持たせ、もう一度使者を三木へ入れた。

今度は長治から返事が来た。

使者は官兵衛の前で膝をついた。

「別所殿より、黒田殿と直接話したいとのことにございます」

秀吉が横から口を挟んだ。

「ようやく向こうから言うてきたか」

官兵衛は立ち上がった。

「参ります」

官兵衛自身が城近くまで出向いた。

長治は城門の内側にいた。

互いの姿が見える距離で、二人は話した。

「命を惜しんで降れと申すか」

長治が言った。

「違います」

「では何だ」

「生きて、城の者を連れて出ていただきたい」

長治の顔が険しくなった。

「信長のもとへ戻れというのか」

「生きるなら、そうなります」

長治は城外の羽柴勢を見た。

「一度背いた者を、信長が許すと?」

官兵衛は書付を示した。

「そのために、これを取りました」

長治は書付を見たまま動かなかった。

しばらくして、視線を城内へ戻した。

「城兵もか」

「助けます」

「皆だな」

「はい」

「城を出たあとは」

「武具を置いた者は帰していただきます。羽柴勢に加わる者があれば、それも妨げませぬ」

長治はそこで初めて、書付から目を上げた。

長治は官兵衛を見た。

翌朝、三木城の門が開いた。

武具を解いた城兵が順に外へ出る。

長治もその列の中にいた。

秀吉は約束を守った。

官兵衛が次に向かったのは、有岡だった。

羽柴勢には、三木を出た別所の兵も加わっていた。

有岡城の櫓から、別所の旗が見えた。

城内がざわついた。

官兵衛は使者を出した。

村重への言葉は短かった。

――三木は開いた。

――別所長治は生きている。

――その兵はいま、この城の外にいる。

返事は日が暮れるまで来なかった。

翌朝、有岡城から一人の使者が出てきた。

「荒木摂津守より」

官兵衛が顔を上げる。

「条件を聞きたいとのことにございます」

数日後、有岡城の門が開き、村重が城外へ出てきた。

その先には羽柴勢が並び、別所長治の姿もあった。

村重は一度だけ長治を見た。

それから腰の刀を外した。

しばらく手に持ち、鞘ごと官兵衛へ差し出す。

官兵衛は両手でそれを受け取った。

史実との差分

史実では、黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は1578年に荒木村重(あらき・むらしげ)を説得するため有岡城(ありおかじょう)へ入り、そのまま幽閉された。三木城では別所長治(べっしょ・ながはる)が籠城を続け、1580年1月、城兵の助命と引き換えに一族とともに自害して開城した。本作では、官兵衛が有岡城へ入らず播磨へ戻ったことで三木攻めの交渉に継続して関与し、信長の許可を得た助命条件によって長治が生きたまま早期に降伏する。その後、別所勢の一部を伴って有岡へ戻り、生きて降った長治を村重に示すことで、有岡城も村重在城中に開城へ至る展開を創作している。

読者ノート

この世界線では、官兵衛が幽閉を避けたこと自体より、その後も播磨で動き続けられたことが次の変化を生みます。三木では、史実なら城兵の助命と引き換えに自害する長治へ、生きて降る道を作ります。その長治と別所勢が有岡へ現れることで、村重にも抗戦以外の選択肢が目の前の現実として示されます。官兵衛は有岡城(ありおかじょう)内へ入らないまま、三木と有岡の二つの城を開かせます。

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参考資料

  • 有岡城跡・伊丹郷町遺跡(伊丹市/伊丹市公式サイト)

    荒木村重の離反から落城までの時系列と、黒田孝高が説得のため赴き幽閉された経緯を扱う自治体資料。

  • 有岡城跡・伊丹郷町遺跡 第368次調査(伊丹市/伊丹市公式サイト)

    官兵衛幽閉と落城後の救出について、後世の黒田家譜等に基づく記述を含め紹介する調査報告。

  • 平成29年度収集 収蔵品目録35(福岡市博物館/福岡市博物館)

    官兵衛幽閉時、竹中半兵衛に仕えた不破矢足が松寿丸(後の長政)を匿ったとする由緒を扱う博物館目録。

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