もし黒田官兵衛が有岡城で命を落としていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は、羽柴秀吉の中国攻略を一手に支えた稀代の軍師です。国衆との交渉から戦略の立案までを担う、秀吉の頭脳でした。
この場面で何が起きていた?
天正6年(1578年)、荒木村重(あらき・むらしげ)の説得に向かった官兵衛は有岡城(ありおかじょう)に捕らえられ、土牢(つちろう)に幽閉されました。
史実ではこうだった
もしここが変わったら?
もし救出が間に合わず、官兵衛が土牢(つちろう)で命を落としていたら、秀吉の中国攻略とその後の天下取りは、どう変わっていたでしょうか。
孫に残す城――職隆、姫路を秀吉に渡さず
有岡城(ありおかじょう)が落ちたあと、黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は戻らなかった。
土牢(つちろう)から運び出された遺体を前に、父の職隆は膝をついた。葬りを済ませても、三木の包囲は続いている。黒田の兵も、幼い松寿丸(しょうじゅまる)も残された。
翌年、三木城が開いた。
別所長治(べっしょ・ながはる)の死で長い包囲が終わると、秀吉は播磨からさらに西へ進む支度を始めた。
姫路城には以前から羽柴勢の兵糧や人馬が出入りしている。官兵衛が播磨入りした秀吉へ城を提供して以来、それは珍しい光景ではなかった。
ある日、職隆は姫路城の一室へ呼ばれた。
普請を任された者たちが、蔵や井戸、城内の建物について秀吉へ報告している。
報告が終わると、秀吉は人を下がらせた。
「姫路を、わしの城として普請する」
職隆が顔を上げた。
「これまでどおり、兵も兵糧もお使いください」
「それではない」
秀吉は職隆を見た。
「城そのものを預けよ。西へ出る拠点として、わしの手で作り替える」
「姫路は、すでに羽柴様にお使いいただいております」
「知っておる」
「これからも変わりませぬ」
「ならば何を惜しむ」
職隆は膝の上で手を組んだ。
「使っていただくことと、黒田が手放すことは別にございます」
「松寿丸か」
「はい。姫路はあの子に残したく存じます」
「まだ子じゃ」
「ゆえに、帰る城が要ります」
秀吉は職隆の前まで歩いた。
「黒田の兵はどうする」
「これまでどおりお使いください。軍役も兵糧も断りませぬ」
「城だけは渡さぬか」
「はい」
秀吉は縁へ出た。
職隆もあとに続いた。
城内では荷駄が行き交い、羽柴方の兵が蔵へ米俵を運び込んでいる。すでに姫路は、秀吉の戦のために働いていた。
「官兵衛なら、どうしたと思う」
職隆は城門を見た。
「倅には聞けませぬ」
秀吉も門へ目を向けた。
「そうじゃな」
荷車が一台、軋みながら二人の前を通り過ぎた。
秀吉は近習を呼んだ。
「御着へ人をやれ」
職隆が振り向く。
「御着を?」
「蔵と井戸を調べろ。兵糧を置けるか見ろ。街道も直させる」
「姫路は」
「これまでどおり使う。兵糧と人足を集める場所は、別に作る」
命令を受けた近習が走り出した。
職隆は頭を下げた。
「ご無理を申しました」
「分かっておるなら働け」
「はっ」
その後も黒田の兵は羽柴勢の命に従った。
西へ出る隊には黒田の者も加わり、姫路の蔵から兵糧も出した。職隆自身も陣と城を往復した。
ただ、姫路城の門番は黒田のままだった。松寿丸も城を離れなかった。
ある夜、松寿丸が職隆に尋ねた。
「羽柴様は、お怒りではありませぬか」
「怒っておられる」
少年の顔が強張った。
「それでも、兵を出せと言われた。ならば働けばよい」
「城は」
「渡さぬ」
数日後、姫路の城下を荷駄の列が通った。
米俵を積んだ馬。材木を運ぶ人足。鍛冶道具を載せた車。
以前なら城内へ入っていた荷も、その日は東の御着へ向かった。
松寿丸は櫓からその列を見送った。
夕刻、城門から声が上がった。
「若殿、門を閉めまする」
松寿丸は門下を見た。
黒田の兵たちが、少年の言葉を待っている。
「閉めよ」
松寿丸の声に、姫路城の門がゆっくりと動き始めた。
史実との差分
史実では、黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は天正5年(1577年)に播磨入りした羽柴秀吉へ姫路城を提供し、有岡城(ありおかじょう)から救出された後の天正8年(1580年)には姫路城を秀吉へ献上した。秀吉は姫路城を中国攻略の拠点として本格的に整備していく。本作では、官兵衛が有岡城で死亡したため、父・黒田職隆(くろだ・もとたか)が幼い松寿丸(しょうじゅまる)へ姫路城を残すことを選ぶ。羽柴勢による従来の軍事利用や黒田家の軍役は継続する一方、城そのものの譲渡は拒み、秀吉が御着へ兵糧・人足を集める機能の一部を移す展開を創作している。
読者ノート
この世界線で黒田家は、官兵衛の死を理由に秀吉と決裂するわけではありません。兵も兵糧も出し、姫路も羽柴勢が引き続き利用します。ただし、史実で官兵衛が秀吉へ渡した姫路城を、職隆は松寿丸(しょうじゅまる)の居城として残します。その違いによって、西国攻略のために物資や人を集める場所が御着にも分かれていく――官兵衛の不在を、天下の勝敗ではなく播磨の拠点配置の変化として描いた版です。
参考資料
- 有岡城跡・伊丹郷町遺跡(伊丹市/伊丹市公式サイト)
荒木村重の離反から落城までの時系列と、黒田孝高が説得のため赴き幽閉された経緯を扱う自治体資料。
- 有岡城跡・伊丹郷町遺跡 第368次調査(伊丹市/伊丹市公式サイト)
官兵衛幽閉と落城後の救出について、後世の黒田家譜等に基づく記述を含め紹介する調査報告。
- 平成29年度収集 収蔵品目録35(福岡市博物館/福岡市博物館)
官兵衛幽閉時、竹中半兵衛に仕えた不破矢足が松寿丸(後の長政)を匿ったとする由緒を扱う博物館目録。