もし松寿丸が処刑されていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は秀吉の軍師。松寿丸(しょうじゅまる)は、その嫡子(のちの黒田長政(くろだ・ながまさ))で、当時は人質として織田方に預けられていました。
この場面で何が起きていた?
天正6年(1578年)、官兵衛が有岡城(ありおかじょう)で消息を絶つと、信長は寝返りを疑い、人質の松寿丸(しょうじゅまる)を処刑するよう秀吉に命じました。
史実ではこうだった
天正六年、播磨。
荒木村重(あらき・むらしげ)の説得に向かった黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)が、有岡城(ありおかじょう)で消息を絶った。信長は、官兵衛が荒木方へ寝返ったと断じる。人質に取っていた嫡子・松寿丸(しょうじゅまる)を処刑せよ――秀吉への、有無を言わせぬ命であった。
だが、秀吉の軍師・竹中半兵衛は動かなかった。半兵衛は、官兵衛が裏切るような男でないことを誰よりも知っていた。村重に捕らえられているに違いない、と。
史実の半兵衛は、ここで主命に背いた。松寿丸を密かにわが領へ匿い、『処刑した』と偽って、その幼い命を救ったのである。
やがて有岡城は落ち、官兵衛は生きて救い出された。半兵衛の判断は正しかった。救われた松寿丸は、のちに黒田家を継ぐ長政となる。
もしここが変わったら?
もし竹中半兵衛の匿いが間に合わず、松寿丸(しょうじゅまる)が処刑されていたら、生還した官兵衛と黒田家の運命はどう変わっていたでしょうか。
今回の視点俯瞰視点
喪われた松寿丸(しょうじゅまる)――子を失った如水(じょすい)、関ヶ原の隙に九州で牙を研ぐ
天正七年(一五七九年)秋、摂津有岡城(ありおかじょう)の土牢(つちろう)から救い出された黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)は、痩せ衰え、片脚の自由を失っていた。一年に及ぶ幽閉を生き延びた安堵も束の間、変わり果てた姿で播磨へ戻った官兵衛を待っていたのは、あまりに惨い報せであった。人質として織田方に預けていた嫡子・松寿丸(しょうじゅまる)が、すでにこの世にいないというのである。
官兵衛が有岡で消息を絶ったとき、信長は寝返りを疑い、松寿丸の処刑を命じていた。盟友・竹中半兵衛は機転で匿おうとしたが、折あしく病の床にあり、その手配はわずかに遅れた。信長の使者のほうが先に動き、幼い首は誤った疑いのために落とされる。半兵衛もまた、己の無力を悔やみながら病に世を去った。報を聞いた官兵衛は泣き崩れはしなかった。ただ、その双眸から温かいものが音もなく消え、胸の奥には、行き場のない怒りだけが冷たく澱んでいった。
それでも官兵衛は、秀吉の軍師として仕え続けた。いや、その知略はむしろ冴えわたる。本能寺に信長が斃れると、動揺する秀吉に天下取りの好機を説き、中国大返しも山崎の勝利も滞りなく導いた。九州平定でも献策は的中し、黒田家は豊前(ぶぜん)中津(なかつ)に大領を得る。だが、その働きは主家への熱からではなかった。守るべき我が子を失った官兵衛には、もはや家の未来を秀吉の体制に託す理由がない。誰のためでもなく、己の生き残りのためだけに、官兵衛は刃を研ぎ続けた。胸の底で、抑えつけてきた一つの野心が、歯止めを失って静かに頭をもたげていた。
慶長三年、太閤秀吉が世を去る。天下は再び二つに割れた。豊前中津に隠居していた如水(じょすい)――かつての官兵衛は、ついにその野心を解き放つ。守るべき跡取りも、義理立てすべき主家もない如水に、もはや迷いはなかった。如水は中津で兵を挙げ、寄せ集めの軍を率いて石垣原(いしがきばる)に大友義統(おおとも・よしむね)を打ち破り、瞬く間に豊後(ぶんご)を席巻する。東軍にも西軍にも属さず、その刃は、ただ己の天下のためだけに九州を切り取っていった。
黒田の軍は、降伏した敵兵をも次々と取り込んで雪だるま式に膨れ上がり、豊後から豊前、筑前へと版図を広げていった。如水は、かつて秀吉のために描いた調略の冴えを、今度は己の旗のために惜しみなく注ぐ。九州の小大名たちは続々と中津へ使者を送り、勢力図は数か月のうちに塗り替えられた。長年、忠義という名の鞘に納めてきた刃は、抜き放たれてみれば、誰よりも鋭く、誰よりも容赦がなかった。
一方、美濃関ヶ原では、東西の大軍が対峙したまま、勝敗を決しかねていた。松尾山に布陣した小早川秀秋はどちらに与するか迷い続け、東軍が頼みとした寝返りの調略も実を結ばぬまま、戦線はいたずらに日を重ねていく。長政という調略の使い手を欠いた東軍は、松尾山を東へ引き込む糸口をついにつかめなかった。
決着の遠のいた美濃をよそに、九州の主導権は如水が握った。豊後・豊前を平らげ、筑前へ旗を進めた如水の前に、加藤清正(かとう・きよまさ)すら境目で兵を止めて動けずにいる。もはや東軍でも西軍でもない第三の勢力が、西国に確かに立ち上がったのである。次に争われるのは美濃の一戦の勝敗ではない。如水が瀬戸内を東へどこまで押し上げるか、家康と三成のどちらが先に如水と手を組もうと使者を送るか、そこへ移った。中津の本陣で、如水は九州の絵図に新たな朱線を一本引き、松寿丸を弔う位牌へ静かに目を向けたまま、次の下知を書き始めていた。
史実との差分
史実では竹中半兵衛が松寿丸(しょうじゅまる)を匿って救い、松寿丸はのちの黒田長政(くろだ・ながまさ)となった。長政は関ヶ原で小早川秀秋らを調略し、東軍をわずか一日の勝利へ導く立役者となる。本作では松寿丸が処刑され、長政は存在しない。我が子を喪い野心の歯止めを失った官兵衛(如水(じょすい))は、秀吉の生前は忠実に仕えるが、その死後、関ヶ原に乗じて九州で自らの天下取りに動く。長政の調略を欠いた関ヶ原本戦は一日で決せず、戦国は最後の大乱へともつれ込む。
読者ノート
松寿丸(のちの黒田長政(くろだ・ながまさ))の死が、二十数年後の関ヶ原にまで及ぶifです。『関ヶ原が長引けば自ら天下を狙った』という黒田如水(くろだ・じょすい)の野望伝説と、関ヶ原で小早川調略を担った長政の史実上の役割を下敷きにしています。官兵衛が秀吉の生前は忠実に仕えつつ、嫡子と温もりを失ったことで、その死後に野心の歯止めを失う流れを描いています。創作部分を含みます。