もし吉継が制海権を確保し、補給線を守り抜いていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
大谷吉継(おおたに・よしつぐ)は兵站の差配に長けた武将で、文禄の役(ぶんろくのえき)では海を越える大軍の補給を担いました。海上輸送をいかに守るかが、彼の最大の課題でした。
この場面で何が起きていた?
朝鮮出兵では、緒戦こそ快進撃でしたが、李舜臣(り・しゅんしん)の率いる朝鮮水軍が日本側の補給船を次々と襲い、海上輸送が脅かされたことで前線が干上がっていきました。
史実ではこうだった
文禄の役(ぶんろくのえき)、緒戦の快進撃の裏で、日本軍はある弱点を抱えていた。海である。
大谷吉継(おおたに・よしつぐ)は、海を越える補給を差配していた。だが、玄界灘(げんかいなだ)の向こうには、李舜臣(り・しゅんしん)の率いる朝鮮水軍が待ち構えていた。亀甲船を擁する朝鮮水軍は、日本の補給船を次々と海の藻屑に変えていく。
前線の加藤清正(かとう・きよまさ)・小西行長(こにし・ゆきなが)らは、漢城(かんじょう)・平壌(へいじょう)まで攻め上がりながら、後ろから来るはずの兵糧と弾薬が届かぬことに苦しみ始めた。海の道が断たれれば、いかに陸で勝とうとも、軍は干上がる。
吉継は、護衛の船をやりくりし、輸送の航路を変え、なんとか補給を繋ごうと知恵を絞った。だが、水軍そのものの劣勢を覆すには至らなかった。やがて戦線は、補給の細りとともに膠着していく。
海を制する者が、この戦を制する――吉継は誰よりもそれを痛感していた。もし制海権さえ確保できていれば、前線の軍はなお戦えたはずであった。
もしここが変わったら?
もし吉継が水軍の運用を立て直して制海権を確保し、補給線を守り抜いていたら、前線への補給が続き、膠着した朝鮮での戦況はまったく違う方向へ動いていたかもしれません。
海路を守りし者――吉継、玄界灘(げんかいなだ)の補給線をついに断たせず
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文禄元年四月、肥前名護屋(なごや)。豊臣秀吉の本陣には、海を越えた快進撃の報が次々と届いていた。加藤清正(かとう・きよまさ)、小西行長(こにし・ゆきなが)らの軍は朝鮮半島に上陸し、漢城(かんじょう)を目指して北へ進んでいる。だが、名護屋の浜で船と荷の差配を握る大谷吉継(おおたに・よしつぐ)の表情は、晴れなかった。
陸の勝報の裏で、海から不穏な報せが上がり始めていた。釜山(ふざん)と名護屋を結ぶ補給の船が、玄界灘(げんかいなだ)の向こうで朝鮮水軍に襲われ、兵糧と弾薬を積んだまま海に沈んでいるという。李舜臣(り・しゅんしん)の率いる船団は、亀甲船を先頭に立て、ばらばらに渡る日本の輸送船を一隻ずつ食い破っていた。
吉継は早くから、この戦の命綱が海路にあると見抜いていた。陸でいかに城を抜こうと、後ろから兵糧と弾薬が届かねば、軍はその場で干上がる。彼は名護屋の番所に船手の将を集め、これまでの輸送のやり方を根本から改めると告げた。
第一に、輸送船を単独で渡らせることをやめた。荷を積んだ船をひとまとめにし、必ず鉄砲を積んだ護衛の兵船で前後を固めた船団とした。第二に、釜山までの航路の途中に島影を使った繋ぎの泊地を置き、夜は無理に渡らせず、潮と風を見て一気に渡海させた。第三に、護衛の兵船には選り抜きの鉄砲足軽を乗せ、敵船が寄せれば一斉に撃ちかけ、接舷を許さぬ構えを徹底させた。
船手の将の中には、護衛に船を割けば肝心の荷が減ると渋る者もいた。吉継は静かに諭した。荷を多く積んで半分が沈むより、荷を減らしても確実に前線へ届ける方が、結局は多くを運ぶことになる。海で失うものを数えれば、答えはおのずと出る、と。
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やがて、改めた船団が玄界灘へ出た。朝鮮水軍は例によって船団に寄せたが、ばらけて逃げる獲物はそこにいなかった。固まった船団は護衛の兵船を外へ向け、寄せる敵船へ鉄砲を撃ちかけた。接舷して乗り込むことを得手とする敵は、間合いを詰めきれぬまま引いた。船団は一隻も欠かさず、釜山の湊へ荷を下ろした。
報せは前線へ駆け上がった。漢城に入った小西行長のもとへ、平壌(へいじょう)へ迫る加藤清正のもとへ、兵糧と弾薬が途切れず届くようになった。後ろから来るはずの荷が来ぬという飢えの不安は、この夏の前線には起こらなかった。
吉継は、それで海を制したと驕りはしなかった。李舜臣はなお健在であり、敵もまた船団の隙を探って手を変えてくるだろう。制海権とは一度握れば済むものではなく、毎日の差配で守り続けねば、たちまち手から滑り落ちる。彼は名護屋と釜山の間を行き来する船の数を帳面に記し、護衛の配りを日ごとに見直した。
秋風が立つころ、前線の戦線は補給難で崩れることなく、占領した地を保ったまま冬を迎えようとしていた。漢城も平壌方面も、兵糧の細りによる退き引きを強いられてはいない。吉継が敦賀(つるが)から携えてきた兵站の才は、海の上でひとつの形を結んだ。
だが、その先に何が待つかは、まだ誰にも見えていなかった。明の援軍が動けば、戦は陸でさらに大きくなる。海を守り続ける重みも増していく。吉継は釜山へ渡る船の帆を見送りながら、この命綱を来年も、再来年も守り抜けるのかと、ひとり問うた。海の道は繋がった。その道がどこまで続くのかは、まだ霧の向こうにあった。
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史実との差分
史実では、李舜臣(り・しゅんしん)率いる朝鮮水軍に補給船を次々と沈められ、漢城(かんじょう)・平壌(へいじょう)まで進んだ前線が兵糧と弾薬の不足に苦しみ、戦線は膠着した。この if では、吉継が単独渡海をやめて護衛兵船で固めた船団方式へ改め、鉄砲で接舷を防いで制海権を保つ。釜山(ふざん)への補給が途切れず、加藤清正(かとう・きよまさ)・小西行長(こにし・ゆきなが)らの前線は補給難に陥らず、占領地を保ったまま冬を迎える。
読者ノート
この分岐の焦点は、海路さえ守れば戦役そのものに勝てた、という話ではない。吉継の差配で補給が続き、前線が史実のように干上がらず戦線を維持できた点にある。しかし明の援軍参戦という次の局面は残されており、制海権を保ち続けられるかどうかへ問いは移る。最終的な戦役の帰結は、ここではまだ決していない。