もし真田一族がそろって東軍についていたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
真田昌幸は、大勢力の間を渡り歩いて家を守ってきた知将です。関ヶ原という天下分け目に際し、一族の去就をどう定めるかは、彼の生涯最大の判断でした。
この場面で何が起きていた?
1600年、下野・犬伏(いぬぶし)の陣で、昌幸と二人の息子は今後の去就を談合しました。長男・信幸の妻は徳川重臣の娘、昌幸と次男・信繁は反徳川の立場――一族の意見は割れていました。
史実ではこうだった
慶長五年七月、下野・犬伏(いぬぶし)。
会津へ向かう陣中に、石田三成挙兵の報が届いた。真田昌幸は、二人の息子と膝を交えて去就を談合する。
長男・信幸の妻は徳川重臣・本多忠勝(ほんだ・ただかつ)の娘。次男・信繁の妻は大谷吉継(おおたに・よしつぐ)の娘である。縁も立場も、東と西に引き裂かれていた。
史実では、昌幸はここで一族を東西に分けた。どちらが勝っても真田の家名を残すためである。昌幸と信繁は西へ、信幸は東へ。父子は袂を分かった。
やがて昌幸・信繁は上田で徳川秀忠の大軍を足止めし、信幸は東軍として戦う。関ヶ原は東軍が勝ち、昌幸・信繁は九度山(くどやま)へ送られ、信幸が家を継いだ。
一族を割って家を残す――それは、戦国の世を生き抜いてきた昌幸らしい、冷徹で周到な選択であった。
もしここが変わったら?
もし昌幸が一族を分けず、信幸・信繁とそろって東軍についていたら、上田で秀忠と戦うことはなく、知将・昌幸が徳川方として関ヶ原以後に加わる、まったく別の真田の道が開けていたかもしれません。
犬伏(いぬぶし)の陣で、真田昌幸が一族を分けず東軍へ束ねた夜の決断
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慶長五年七月、下野・犬伏(いぬぶし)。会津の上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)を討つため北へ向かう陣中に、石田三成挙兵の報が届いた。真田昌幸は、二人の息子を陣屋へ呼び、灯火のもとで膝を交えた。外では夏草を揺らす風が低く鳴っている。
長男・信幸の妻は徳川重臣・本多忠勝(ほんだ・ただかつ)の娘である。次男・信繁の妻は大谷吉継(おおたに・よしつぐ)の娘であった。縁も立場も、東と西に引き裂かれている。信繁は反徳川の気を隠さず、三成からの文を膝に置いて父の顔色をうかがった。信幸は黙したまま、ただ父の言葉を待っている。父が口を開けば、それがそのまま真田の進む道になることを、二人とも知っていた。
昌幸は長く目を閉じていた。武田の世から、織田・北条・徳川・上杉のはざまを渡り歩き、小領主のまま独立を守ってきた男である。一族を東西に分け、どちらが勝っても家名を残す――その算段は、すでに胸の内にあったはずだった。表裏比興(ひょうりひきょう)と呼ばれた知略の冴えなら、二股をかけることなど造作もない。第一次の上田で徳川の大軍を退けた手並みも、まだ衰えてはいない。
だが、その夜の昌幸は別の言葉を口にした。「家を割れば、勝った側に立つ者も、負けた側の血を一生背負うことになる。兄が弟を、弟が兄を、いくさ場で探す日が来るやもしれぬ。真田は、ひとつのまま東へ立つ」。信繁が膝を進めて何かを言いかけたが、昌幸は手で制した。「お前の信義は知っている。三成への恩も、大谷との縁もな。だが、割れぬ家を束ねて次代へ渡すのが、当主の務めだ」。
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陣屋に沈黙が落ちた。やがて信繁は深く頭を下げ、「父上の御差配に従いまする」と低く答えた。信幸は安堵とも憂いともつかぬ息を吐いた。三人は灯を消し、評議は閉じられた。真田は、割れずに東軍へついた。
翌朝、真田父子は徳川方の陣へ使者を立て、一族そろって家康に従う旨を伝えた。上田へ戻り、中山道を進む徳川秀忠と戦う道は、この一夜で消えた。第二次上田合戦は起こらない。秀忠の主力は上田で足止めされることなく、予定どおり関ヶ原へ向けて進むことになる。
関ヶ原は東軍が勝った。知将・昌幸と真田の総力は徳川方の戦力として数えられ、戦後、真田は東軍の戦功大名として所領を安堵された。本多忠勝の縁につながる信幸の働きも家康の覚えにかなったという。昌幸・信繁が高野山麓の九度山(くどやま)へ送られることはなく、父子は同じ領で老いを迎えた。上田の城下には、徳川と矛を交えなかった代わりに、戦火を見ぬまま秋の市が立ち続けた。
ただ、昌幸の胸には、口に出さぬ思いが残ったかもしれぬ。徳川を相手に知略を振るう機会は、もう永遠に訪れない。家を守った代わりに、彼は己であろうとした一生分の戦を、自ら手放したのだった。夜更けに城の櫓へ上り、暗い中山道のかなたを見やることが、晩年の昌幸の癖になったとも伝わる。あの夜、二股をかけて家を割っていれば、徳川を出し抜く知略をもう一度世に示せたかもしれぬ。だが、それは信幸と信繁のどちらかを、敗者の血で汚す道でもあった。その選択が正しかったか――それを父子に問う者は、もはやどこにもいなかった。
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史実との差分
史実では昌幸は犬伏(いぬぶし)で一族を東西に分け、自らは信繁とともに西軍につき、第二次上田合戦で徳川秀忠を足止めしたうえで九度山(くどやま)へ配流された。この if では昌幸が一族を分けず東軍についたため、上田合戦は起こらず秀忠の主力は予定どおり進み、真田は東軍大名として所領を保ち、配流も起きない。
読者ノート
犬伏(いぬぶし)の別れは、勝敗を読む計算と、それぞれの信義が交差した評議でした。一族を割って家を残すか、束ねて一つの道を選ぶか。どちらにも当主としての筋が通っており、昌幸が何を最優先したかで真田の運命は分岐します。