もし再興軍の出雲上陸作戦が毛利軍に察知され、初期段階で全滅していたら?
この話の背景を読む
この武将はどんな人?
山中鹿之助は、滅亡した尼子家を再興するため、新宮党(しんぐうとう)の遺児・尼子勝久(あまこ・かつひさ)を京都で見つけ出し、再起の兵を挙げようとしていました。
この場面で何が起きていた?
1569年、鹿之助らは隠岐の協力を得て出雲国への上陸を敢行しました。当時毛利氏は九州の大友氏と戦っており、出雲の防備は極めて手薄でした。
史実ではこうだった
永禄十二年六月、出雲の海岸。山中鹿之助と尼子勝久(あまこ・かつひさ)に率いられた再興軍は、隠岐の有力者・隠岐為清(おき・ためきよ)の支援を得て、ここに上陸した。
当時、毛利氏は九州の大友氏や大内輝弘の動きに主力を割かれ、本国の山陰は手薄であった。この間隙こそ、鹿之助が狙い澄ました好機である。上陸はおおむね成功し、旧臣たちが各地で蜂起した。
再興軍はたちまち数千に膨れ上がる。新山城(しんやまじょう)を奪って出雲の大半を回復し、月山富田城(がっさんとだじょう)をも脅かした。毛利の背後を揺さぶる、見事な電撃戦であった。
しかし翌年、山陰へ取って返した毛利の精鋭が、布部山(ふべやま)で再興軍を打ち破る。緒戦の勢いは、毛利本隊の前に長くは続かなかった。
もしここが変わったら?
もし出雲上陸の初期段階で再興軍が全滅していたら、鹿之助の運命や、毛利の九州攻略の行方はどうなっていたでしょうか。
今回の視点俯瞰視点
忠山の水際に潰えた再興――尼子の旗、出雲の土を踏む前に散る
永禄十二年六月、日本海の荒波が島根半島の断崖絶壁を絶え間なく叩き、白い飛沫を暗闇の中に舞い上げていた。山中鹿之助率いる尼子再興軍は、隠岐の国人・隠岐為清(おき・ためきよ)の全面的な支援を得て、数艘の軍船に分乗し出雲の忠山への上陸を目指していた。深夜の闇に紛れ、松明をすべて消した船団が静かに磯へ近づく。尼子の家紋である「四つ目結」の旗を胸に抱いた若き将兵たちは、ついに戻ってきた祖国・出雲の土を踏む喜びに震え、誰もが無言で槍を握りしめていた。しかし、その上陸地点である忠山の海岸には、不気味な静寂が冷たく広がっていた。
「敵だ!伏兵がおるぞ!」。先陣を切って砂浜に飛び降りた鹿之助の警告の叫びは、直後に炸裂した毛利軍の矢の嵐と激しい銃声にかき消された。上陸計画は、毛利の出雲留守居役・天野隆重(あまの・たかしげ)によって事前に完璧に察知されていたのである。天野隆重は、出雲国内の旧尼子遺臣たちの不穏な動きを厳しく監視し、隠岐での船団組織の具体的な情報を、放っていた密偵を通じてことごとく得ていた。隆重は手薄な月山富田城(がっさんとだじょう)から精鋭一千を密かに引き抜き、夜陰に乗じて上陸地点の崖上に配置していた。崖の上から一斉に放たれた火矢と巨石が、砂浜で密集していた尼子の兵を容赦なく襲う。軍船は火だるまとなり、彼らの退路は水際で完全に遮断された。
鹿之助は十文字槍を振るって敵の先鋒を突き伏せ、崖上へと駆け上がろうとした。しかし、上陸直後の混乱と、地形の圧倒的な不利は如何ともしがたかった。尼子再興軍の総大将として擁立されていた尼子勝久(あまこ・かつひさ)は、まだ船から降りる前に毛利の放った焙烙火矢の直撃を受け、乗船が炎上。勝久は家臣たちに抱えられて辛うじて水中に逃れたが、重い具足が災いし、水際で完全に包囲されてしまった。わずか数時間の戦闘で、上陸した三百余名の尼子兵はことごとく討ち取られるか捕縛され、海面は赤く染まった。
幸盛は満身創痍となりながらも、残兵を率いて背後の山林へ逃れようとした。だが、隆重の包囲網は蜘蛛の巣のように張り巡らされており、執拗な追撃の前に尼子の将兵は次々と力尽きていった。捕らえられた尼子勝久は、天野隆重の尋問に対し、自らが京都の東福寺の僧・寛心であったことを告げ、再び仏門に戻り二度と還俗せぬことを誓う条件で、一命を助けられ厳重な監視下に置かれることとなった。起兵の核であった勝久が拘束され、再興軍の主力たる旧臣たちが一戦で壊滅したことにより、尼子氏再興の運動はその出発点において完全に息の根を止められたのである。
この凄惨な夜をもって、山陰に尼子の旗を取り戻すという再興軍の悲願は、本格的に始まる前に潰え去った。天野隆重は月山富田城の防備をさらに固め、出雲国内の旧尼子遺臣に対する容赦ない掃討令を出して反乱の火種を完全に消し去った。幸盛は奇跡的に出雲の山中へと逃げ延びたものの、もはや彼を支援する勢力も、擁立すべき主君も存在しなかった。月山富田城を包囲する尼子の旗が翻ることは二度となく、毛利の山陰支配は揺るぎないものとして確定し、山陰の戦況は毛利の絶対的な優位のもとで静まり返った。
史実との差分
史実では出雲上陸に成功した再興軍が新山城(しんやまじょう)などを攻略して一時出雲の過半を掌握したが、この分岐では上陸作戦が事前に漏洩し、毛利天野隆重(あまの・たかしげ)の待ち伏せによって上陸直後に壊滅した。尼子勝久(あまこ・かつひさ)は拘束されて僧籍に戻され、再興運動は完全に破綻。鹿之助は孤立無援の逃亡者となり、以後の再興戦は一切発生しなかった。
読者ノート
この物語は『もし毛利の情報網が完璧に機能し、再興軍の上陸を水際で阻止していたら』という仮定に基づく創作です。天野隆重(あまの・たかしげ)の迎撃作戦や勝久の助命措置はフィクションです。