もし再興軍の出雲蜂起時に、月山富田城の早期奪還に成功していたら?

この話の背景を読む

この武将はどんな人?

山中鹿之助ら尼子再興軍は、出雲国に上陸して瞬く間に数千の勢力となり、かつての居城・月山富田城(がっさんとだじょう)に迫りました。

この場面で何が起きていた?

1569年、出雲を急襲した尼子再興軍は、新山城(しんやまじょう)を落とし、本拠・月山富田城(がっさんとだじょう)を包囲しました。しかし毛利天野隆重(あまの・たかしげ)らの頑強な抵抗により城を落とせず、やがて毛利本隊の到着を許すことになります。

史実ではこうだった

永禄十二年六月、出雲。山中鹿之助に率いられた尼子再興軍は、隠岐を経て海を渡り、出雲へ上陸した。毛利が九州で大友氏と争う隙を突いた、起死回生の蜂起であった。 旧尼子の遺臣たちが続々と馳せ参じ、再興軍は瞬く間に数千の勢力へと膨れ上がる。新山城(しんやまじょう)を攻略して出雲の大半を回復した鹿之助は、ついに尼子代々の本拠・月山富田城(がっさんとだじょう)を包囲した。 だが、城を守る毛利方の知将・天野隆重(あまの・たかしげ)は容易に屈しなかった。寡兵ながら巧みに守り抜き、調略を用いて包囲を持ちこたえる。再興軍は堅城を落とせぬまま、貴重な時を空費した。 翌永禄十三年、毛利本隊が山陰へ急行し、布部山(ふべやま)の戦いで再興軍を撃破する。富田城奪還の好機は失われ、尼子再興の夢は再び遠のいた。

もしここが変わったら?

もし月山富田城(がっさんとだじょう)を早期に奪還できていたら、尼子氏は毛利と肩を並べる山陰の雄として復活できたでしょうか。

今回の視点俯瞰視点

四つ目結、富田城に返り咲く――内応が拓いた尼子の大名復活

永禄十二年の秋、山陰の険しい山々に囲まれた月山富田城(がっさんとだじょう)。かつて尼子氏十代の栄華を誇り、毛利元就の力攻めにも決して墜ちなかった難攻不落の堅城である。山中鹿之助率いる尼子再興軍は、出雲上陸からわずか数か月の間に、国内の旧尼子遺臣や毛利の支配に不満を持つ国人衆を糾合し、怒涛の勢いで富田城に迫っていた。しかし、城内を守るのは毛利の知将・天野隆重(あまの・たかしげ)。力攻めでは数か月の籠城戦となり、その間に毛利の主力軍が引き返してくることは明白であった。ここで鹿之助が打ったのは、城内の旧尼子家臣たちとの結びつきを用いた、極めて緻密な「内応工作」であった。 隆重の側近や、富田城の各曲輪を守る足軽大将の中には、毛利に臣従しつつも、かつての主家への忠誠を失っていない者が多数存在していた。幸盛は彼らに「今こそ主家復興の時。城の塩谷口(しおだにぐち)の木戸を開け放てば、尼子の軍勢が入り、天野の首をあげるのみ」と、密かに起請文を送った。当時、毛利の苛烈な山陰検地や国衆統制に対する反発もあり、城内の旧尼子臣たちは結束した。永禄十二年九月十日の深夜、雲に月が隠れた瞬間に、富田城の西門である塩谷口の木戸が、城内の内応者たちの手によって内側から開け放たれたのである。 幸盛率いる精鋭三百は、静かに城内へと突入した。不意を突かれた毛利軍の守備隊は混乱し、各所で内応した兵たちが一斉に蜂起したため、城内は瞬く間に尼子軍の支配下となった。城主・天野隆重は本丸で防戦を試みたが、退路を断たれ、もはや城の維持が不可能であると判断。隆重はわずかな側近と共に城の裏手から脱出し、備後国へと敗走した。これにより、かつて尼子氏が滅亡してからわずか三年で、その象徴である月山富田城は、尼子再興軍の手によって完全に奪還されたのである。城下には太鼓の音が響き渡り、勝久の入城を歓迎する群衆が溢れた。
月山富田城の早期奪還は、山陰地方の戦況を劇的に一変させた。本拠を失った毛利の出雲支配体制は崩壊し、出雲国内のほぼすべての国人衆が尼子勝久(あまこ・かつひさ)に帰順を表明した。勝久は富田城の居館に入り、尼子氏の当主として再興を正式に宣言した。翌年、九州から引き返してきた吉川元春(きっかわ・もとはる)・小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)の精鋭一万五千が富田城を包囲したが、難攻不落の城塞と、完全に尼子支持で固まった出雲の領民の団結を前に、毛利軍は城を落とすことができなかった。吉川軍は城下に多大な犠牲を払い、やがて兵糧の不足と、背後から迫る織田信長の圧力によって、山陰からの撤退を余儀なくされた。 尼子氏の旗である「四つ目結」が、富田城の天守に再び堂々と翻る。幸盛は本丸の石垣に立ち、三日月の浮かぶ夜空を見上げていた。かつて夢見た「主家再興」は、単なるゲリラの抵抗ではなく、堅固な本拠地を得たことで、毛利と対等に戦う山陰の巨大な割拠勢力として具現化しつつあった。出雲の山河を包む風は冷たかったが、再興を果たした将兵たちの胸には、明日への確かな希望が満ちあふれており、彼らの表情には力強い光が灯っていた。

史実との差分

史実では月山富田城(がっさんとだじょう)を包囲したものの天野隆重(あまの・たかしげ)の頑強な抵抗で落とせず、毛利本隊の到着後に再興軍は敗走したが、この分岐では内応工作が成功して富田城を早期奪還した。これにより尼子氏は出雲の本拠地を確保し、毛利軍の反撃を防ぎきって山陰に大名としての勢力を再確立した。

読者ノート

この物語は『もし月山富田城(がっさんとだじょう)が早期に内応で開城していたら』という仮定に基づき、尼子氏が大名として復活する契機を描いた創作です。天野隆重(あまの・たかしげ)の敗走や吉川軍の撃退などはフィクションです。

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